出石には鉄道の駅は無い。 明治時代、国中が鉄道建設ブームにわきかえっていた折、「よそ者が町に入り込むと風紀が乱れる」と、町の人達は山陰線を豊岡回りに強引に迂回させてしまった。 明治維新後数十年は経ってはいたが、城下町の誇りが色濃く残っていたのだと思われる。 おかげで開発の波に乗り遅れたこの町は、かつての但馬の中心であった出石の古い歴史を、古い町並みと共に残すことができたのは皮肉である。 町には千本格子の長屋や虫籠窓のある町屋、赤土壁の酒蔵が、何気なく町並みに溶け合って見える。
 そんな出石にも「出石まちづくり公社」ができ、平成の城下町を目指して官民一体でのまちづくりが行われている。 最近では年間100万人の観光客が訪れる観光地となっています。



 出石の歴史は神代の時代、但馬の国生み伝説にとさかのぼる。 新羅の国から渡来した天日槍(アメノヒボコ)が、泥海の底にあったこの地を開拓したことに始まる。 そして今から約600年前、山名氏が足利幕府より但馬地方の守護に命じられた時から開けた古い町である。 山名氏滅亡後、江戸時代に入って、信州上田から五万八千石で移付されてきた仙石氏は八代260余年にわたり、この地を治めた。 
 慶長九年(1604年)小出吉英によって築かれた出石城跡に立つと、旧城下町が一望でき、箱庭のような眺めである。



現在の出石の象徴である「辰鼓楼」は、大手門通りの旧大手門の一隅に建つ高さ16mの櫓で、藩政時代には毎朝辰の刻(午前8時)に太鼓を打って登城する藩士に時刻を知らせていた。 今は櫓の上で大時計が時を刻んでいる。
 この辰鼓楼あたりが町の中心で、向かいにある市営駐車場が、出石の町並み散策の出発点であり、歴史に根ざした魅力的な町並みづくりが、最も進行している区域でもある。 

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