![]() |
出石には鉄道の駅は無い。 明治時代、国中が鉄道建設ブームにわきかえっていた折、「よそ者が町に入り込むと風紀が乱れる」と、町の人達は山陰線を豊岡回りに強引に迂回させてしまった。 明治維新後数十年は経ってはいたが、城下町の誇りが色濃く残っていたのだと思われる。 おかげで開発の波に乗り遅れたこの町は、かつての但馬の中心であった出石の古い歴史を、古い町並みと共に残すことができたのは皮肉である。 町には千本格子の長屋や虫籠窓のある町屋、赤土壁の酒蔵が、何気なく町並みに溶け合って見える。 そんな出石にも「出石まちづくり公社」ができ、平成の城下町を目指して官民一体でのまちづくりが行われている。 最近では年間100万人の観光客が訪れる観光地となっています。 |
慶長九年(1604年)小出吉英によって築かれた出石城跡に立つと、旧城下町が一望でき、箱庭のような眺めである。 |
![]() |
![]() |
この辰鼓楼あたりが町の中心で、向かいにある市営駐車場が、出石の町並み散策の出発点であり、歴史に根ざした魅力的な町並みづくりが、最も進行している区域でもある。 |