奈良県宇陀郡




「かぎろい」のたつ城下町 大宇陀




万葉の時代、大宇陀は「阿騎野」と呼ばれ、
宮廷の狩猟の場であり、柿本人麻呂が

「ひんがしの野にかぎろいの立つ見えて 
かえりみすれば月かたぶきぬ」

と詠んだのも、この地である。古代、中世、近世、明治と
歴史の変遷の中で大宇陀は、伊勢道を通っての海の幸、
吉野道を通っての山の幸の中継点として町を栄えさせてきた。 
南北朝時代には、この地に勢力を持つ秋山氏が秋山城を築き、
その後豊臣系大名の居城となり城下町としての
町並みが造られていった。
 道の駅「宇陀路大宇陀」に車を止め、宇陀川を渡って町へ入ると、
人影はほとんどなく、古い家並みが深閑と続き、
観光客ともほとんど出会わない。
 重そうな瓦屋根、虫篭窓、
時代がかった連子格子、二階の屋根には卯建が上がり、
城下町というよりは豪商の町といった印象の町並みである。