滋眼堂から滋賀院を抜けて日吉参道に至る小径は、城跡を思わせるような石垣をもつ里坊が続く道である。 この立派な石垣は、「穴太衆積み」と呼ばれる石垣で、坂本の町の穴太地区に古来より住んでいた石積職人の技で積まれたものである。
穴太衆独特の石積みは、加工しない石を積み上げ、隙間に栗石と呼ぶ小石を詰めただけのものであるが、その技は巧みで、表面から3分の一くらい奥に入ったところに重心がかかるようになっていて、堅牢さは比類なきものと言われている。
信長築城の安土城をはじめ、彦根城、丹波の篠山城、和歌山城など日本の名城の多くは穴太衆積みの石垣をもっている。 かつて三百人を数えた穴太衆は、現在粟田家一軒だけとなり、名城の石垣は粟田家によって守られている。
@
A
B
●
写真をクリックすると大きくなります。
C
D
E
F
大鳥居から日吉大社への日吉参道には、立派な門構えの里坊が立ち並び、門前町としての賑やかさは伺えない。
大鳥居から南へ伸びる道は、古くからの街道筋らしく、昔ながらの家並みが続く中にも、立派な石垣が所々に残っている。