奈良町格子の家


町家は、町人の住居として建てられた民家で、間口は狭く、奥行きが深いという共通の特徴があります。京都の町家は「うなぎの寝床」などと呼ばれています。これは、かつて税金が 間口の広さによってかけられたということのほか、「表通りに面したい」という町民らの願いをできるだけ多くかなえるための知恵でもあったのです。格子は、昼間は外から家の中を見えなくする目隠しとなり、同時に中からは外がよく見える現代のハーフ・ミラーのような効果を持っていて、そして音や風はよく通します。お母さんは、表で遊んでいる子供たちに格子ごしに気を配りながら、針仕事や水仕事をしていたのでしょう。

江戸末期の町屋を忠実に再現した建物

関西では「おくどさん」と呼ばれる釜戸が再現されていた


身代わり猿と庚申堂

身代わり猿のルーツはシルクロードを通って敦煌から伝わって来たと言われています。同じ身代わり猿は、飛騨の高山にもあり「さるぼぼ」と呼ばれています。敦煌石屈の祭壇にかける祭具として使われた唐代の垂れ幕に「庚申さんの身代わり猿」と同じものがついていたそうです。中国では猿は悪魔退散のお守りと考えられ、三蔵法師も旅のお守りに猿のぬいぐるみを馬の鞍につけていたそうです。 それが西遊記では、法師をお守りする孫悟空の物語になったと伝えられています。


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