旧細川家住宅

江戸時代末期の建築と推定され、江戸期に殷賑をきわめた商家町松山の面影を残す建造物である。 細川家は薬問屋として、人参五臓圓・天寿丸という腹薬を販売し、大いに繁盛しました。 また藤沢薬品工業(株)を創設した友吉翁は、細川家二代目「治助」の次女の長男であります。

旧細川家住宅

おくどさん



黒門と道標

街角には伊勢への道しるべが残り、江戸時代は、奈良、大和郡山につぐ規模の町で、政治・経済・文化の中心地でもありました。 宇陀松山城下への入り口として、松山西口関門があり、柱や扉が黒く塗られていたことから「黒門」と呼ばれていた。 門を通る路は敵の襲撃を防ぐため鍵形に折れ曲がり、唯一城下の面影がうかがえる。

道標
黒門

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