<坂越大道>

 近世に創られた瀬戸内海沿岸の多くの町は、ほとんどの港町がそうであるように、
海岸沿いに展開しているのであるが、
坂越は、千種川と坂越浦をつなぐ
「大道(だいどう)」を主軸として展開している
ことが特徴的です。
 「大道」とは、今風に表現すれば、
千種川の高瀬舟ネットワークと瀬戸内海の
大型廻船ネットワークとを結びつけ、
坂越を一大流通拠点として
発展させた動脈なのです。
<木戸門跡>

皆との入り口として、
木で作られた門が
ここにありました。港では、
大きな帆船(廻船)が
積荷の到着を待っていました。たくさんの荷車が、
塩や米などを積んでこの門を
通って行ったのです。
門の大きさは、
幅が約4メートル、
高さが約2メートルでした。 




<奥藤銀行>

この建物は、今は坂越まち並み館として使われていますが、元は銀行でした。江戸時代も終わりに近づく頃、坂越の大きな帆船(廻船)は、もっぱら塩を運んでいました。ところが、明治時代になると、日露戦争の資金をつくるために塩の販売は政府が行うことになりました。このため船主たちは、廻船の仕事をやめて銀行を始めたのです。この銀行の向かい側にも、別の船主の始めた銀行(坂越銀行)がありました。