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 奈良盆地の北の端から東へ、山道を20kmあまり走ってたどり着く山あいの里が、柳生新陰流を生んだ里 柳生。
 宮本武蔵が二度も訪ね、手合わせが叶わなかったとされる柳生石舟斎をはじめ、将軍家兵法指南役を務めた宗矩、その長男十兵衛と文武両道に優れた一世の剣豪を生んだ里 柳生。
 天下に名高い柳生家も、一万ニ千石の小大名であり、柳生の里には城らしきものは無く、城と屋敷のあいだのような「陣屋」跡がひっそりと残っている。





 集落の中には、うどん屋といった風の食べ物屋が向かい合わせに三軒、少し離れて造り酒屋が一件、そして郵便局があり、周りはほとんどが農家、土の恵みを受けての生活が息づいていました。 奈良市街からわずか三十分、全ての雑踏が消えうせたような集落は、別次元の世界に入り込んだようでした。

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