柳生家の居城の地、柳生の里を一望に見下ろす山王台上に、柳生但馬守宗矩が亡父石舟斎の供養として建立されたのが神護山芳徳禅寺で、以後柳生家代々の菩提寺となった。
 山王台が自然の天守閣の役目を果たし、石段、掘割、見張り場など、城の名ごりを今にとどめ、争乱の世では、大和、山城、伊賀の国境に位置し戦国畿内の動静をうかがうのに最適の地であったのだろう。


 芳徳禅寺への参道途中に、柳生武道の「正木坂道場」があり、今も剣豪を目指しての稽古の場となっている。

 今川を隔てて芳徳禅寺の向かいに見える豪華な石垣は、もと柳生藩財政の立て直しをした家老小山田氏の屋敷で、1841年に尾張石工が築いたもので、柳生藩を知る上で貴重な資料となっている。
 戦後人手に渡っていたものを昭和39年に作家山岡荘八氏が買い取り、NHK大河ドラマ「春の坂道」の構想も、この屋敷で練られたとされている。 その後、昭和55年に遺族によって奈良市へ寄贈された。
 柳生但馬守宗矩の柳生藩陣屋は、正木坂の上に建てられたが、1747年に全焼し、今は史跡公園として桜の名所になっている。