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 奈良県橿原市今井町、東西約610m、南北約310mのこの町は、近世の町割りを今に残し民家約760軒のうちおおよそ8割が江戸時代の建物。本瓦葺の豪商の家が今も建ち並んでいる。

今井町のマップ
 それまで環濠集落であった今井は、至徳3年(1386)興福寺の荘園として、興福寺一乗院文書で初めて文献に登場する。
 室町時代の後期には、この付近に一向宗(浄土真宗)の道場(後の称念寺)が出来はじめ、天文年間(1532〜55)頃には、寺内町(武装宗教都市)が誕生していた。まず東西南北の四町ができ、その後六町へと広がり、周囲に堀及び土居をめぐらし、九つの門があった。


 江戸時代の幕藩体制下で、郡山藩となったこともあるが、約180年間は天領であった。しかしながら自治の気風は強く、大幅な自治的特権が許されていました。町政は惣年寄を中心に組織され、司法・警察権の一部を握っていました。また、町民自らが「町掟」を定めて社会のルールも作っていた。


 寺内町と言うこともあり、近在から多くの商人が移り住み、あらゆる商売が行われ、中でも繰綿・古手・木綿を中心に多いに栄えました。その中から財力を蓄えたものが両替商を営み、大名に金銀を貸す者も現れました。寛永11年(1634)には「今井札」の発行が幕府から許されたほどでした。


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