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天秤棒一本で大商人となった五個荘商人、その商人の町並みを、町のいたるところで見ることができます。 中でも、金堂地区の白壁、土蔵、舟板塀が続く町並みは、時が止まったかのような静けさと懐かしさの中にありました。




外村与左衛門浄秋(六代)の末子嘉久が、1802年に分家して宇兵衛家を興したものです。1813年に与左衛門との共同事業から独立して商いを始めたのが商家としての最初です。努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を持ち呉服類の販売を中心に商圏を広げました。明治時代には全国長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築きました。
屋敷は家業の隆盛とともに数次にわたる新増改築が重ねられ、主屋・書院・大蔵・米蔵・雑蔵・納屋・大工小屋など十数棟におよぶ建物が建てられていました。
庭は神崎郡内一番の庭と評される程でした。しかし残念ながら建物や庭の半分程が取り壊され、住時の姿を損じていました。そこで五個荘町が、茶室・四阿の復元、主屋・庭の改修や整備を行い、明治期の姿に修復して、てんびんの里伝統家屋博物館としたもので、近江商人の当時の生活文化を垣間見ることができました。
  

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