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都市の雑踏を離れた田園風景の中に
ひっそりとたたずむ歴史の町。
豊臣秀吉ゆかりの木下家代々によって
陣屋町として栄え、
今も武家屋敷や土蔵の残る、足守

 備中吉備路の田園風景の中に、忘れられたようにひっそりとした町、足守がある。 足守川と岡山平野に育まれた実り豊かなこの地には、古代から地域の要衝として重視され、備中の豪族賀陽氏は、平安末期に「足守荘」という荘園をつくっていた。 その後、戦国の世には毛利氏の支配下となり、宇喜多氏の支配を経て、江戸時代には豊臣秀吉ゆかりの木下家の足守藩へと繋がる。
 現在の足守地区約300戸うち、江戸時代の伝統的家屋の姿をとどめているものは、三分の一に当たる約100戸と非常に高い割合を占めていて、岡山県の「町並み保存地区」の指定を受けている。   

 関が原の合戦で勝利した徳川家康が、播磨城主木下家定に賀陽郡と上房郡内に2万5千石を与えたことで足守藩が誕生します。 4代目藩主木下利当が、本格的な陣屋町の形成に着手、5代目利貞公の頃に完成を見る。 その後は、街道沿いには商家が次々と築かれ、武家屋敷ゾーンと町家ゾーンで構成された現在の足守の町並みは、この頃に形成されました。
 こうして陣屋町として完成した足守は、約250年わたって多いに繁栄しました。


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