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 大阪の南東部、金剛山系の裾野に広がる平野部を南河内と呼ぶ。その中心に位置するのが富田林。開発めざましい新興住宅の中にある寺内町は、一歩足を踏み入れると、そこだけは時代劇映画のセットさながらの懐かしくて美しい町並みが広がり、江戸時代にタイムスリップした感である。
 16世紀京都興正寺の証秀上人が「富田の芝」と呼ばれた荒地を銭百貫文で買い受け、町づくりをはじめたことによる。
 関西に残る寺内町は、その多くが宗教色を帯びているのに対し、富田林の寺内町では、町民「8人衆」によるリーダーシップが発揮され、したたかで伸びやかな商売の町として他の寺内町とは一線を画している。


大阪府富田林市

 富田林寺内町は、今から450年前の永禄年間(1558〜69)に京都興正寺門跡十四世証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とする宗教自治都市(寺内町と呼ぶ)です。近鉄長野線富田林駅から約300mほど南にあり、南端は石川の河岸段丘による土塁、北端は堀割り(現在は暗渠)によって区画され、東西・南北とも約350mの広がりもっています。現在も創建当時の六筋七町の町割りが残され、歴史的な範囲を容易に読みとることができます。
 富田林寺内町は、17世紀以後、幕藩体制の中で宗教色は次第に薄れ、周辺地域の農作物の集散と商業活動による在郷町として発達しました。寛文8年(1688)の記録では、樽や布など酒造や木綿に関する商いが盛んで、51職種、149の店舗が軒を並べていました。重要文化財旧杉山家住宅、仲村家住宅など、往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が現存し、歴史的な景観を形成しています。
 この優れた文化遺産を後世に伝え、新しい時代の特色あるまちづくりに生かすため、旧寺内町のうち約11haを文化財保護法に基づく伝統的建造物群保存地区に指定しました。平成9年10月には、富田林寺内町の価値とまちづくりの実績が評価され、国の文化遺産として重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。


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