「五万石でも岡崎さんは お城下まで船が着く」
矢作川と乙川の清流にはぐくまれた徳川家ゆかりの城下町が岡崎である。 町は、徳川家康の父祖松平清康によって作られ、明治までの徳川家450有余年の歴史をもつ町で、家康に由来する史跡や文化財が町のあちこちに散在している。
そして岡崎といえば「三州味噌」、お城から西へ八丁離れた八丁村で造られたので「八丁味噌」と呼ばれ、 三河の大豆、吉良の塩、矢作川の湧水と舟運、そして温暖な気候が、好立地条件となって八丁味噌が造られた。 長期保存可能で寒暑にも変味せず、持ち歩くにも便利ということで、三河武士の兵糧として重宝がら、家康は陣中で、この味噌を焼いて食べるのを好んだという。 三河武士ご用達の八丁味噌も、家康が江戸に幕府を開いたことで、全国的にその名が知れることとなった。
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