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長さが百五十メートルちかくもある前方後円の蛭子山古墳は、網野町の銚子山古墳、丹後町の神明山古墳と共に、山陰道の三大古墳とよばれています。 残念ながら、だれのお墓かわっていませんが、おそらく大和朝廷から丹後へ遣わせれたえらい人のお墓だろうといわれ、地元では、聖徳太子のお墓という説もあるそうです。
すぐ隣には、大きな作り山古墳があり、この二つの古墳が発掘された時は、大へんなさわぎで、大ぜいの人々が地元ばかりでなく、遠くから見物におしよせたそうである。
作り山古墳からは、首のまわりを玉で飾った女の人の骨が出てきました。棺のふたを開けた時、どうしたことか、たくさんあった髪の毛がみるみるうちに消えてなくなったといいます。 |
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